「思い出のマーニー」についての感想とちょっとした考察

「思い出のマーニー」を観てきた。

 

 


「思い出のマーニー」劇場本予告映像 - YouTube

 

 

正直よい評判を周りから聞いていなかったので、あまり期待せずに観たのだけれど、ものすごくよかった。ここ最近のジブリ作品では最も良かったと思う。

 

スタジオジブリは長編制作を小休止するとのことで、これが最後の作品となる可能性もある。この作品を作ることができる実力を持ちながら、制作部門を一時的にせよ畳むのは本当に惜しい。また、この作品が、高畑・宮崎両監督が企画・脚本に関わらない初のジブリ長編作品であったという意味でも、今後の可能性をここまで見せてくれたのに…という思いがある。

 

以下ネタバレ含む。

 

 

マーニーの良かった点は主に二つあった。

まずひとつ、主人公に共感出来た点。そして、話の展開である。

 

マーニーの主人公は、主人公はこれまでのいわゆるジブリキャラクターと一線を画している。「魔女の宅急便のキキ」や、「となりのトトロ」のサツキとメイなどのキャラクターは、幸せいっぱいの家庭で育っていて、安心できる場所がしっかりあって、毎日の生活が幸せと思っているタイプだろう。観ているこっちとしては、彼女らになりたいけれどほぼ叶うことのない、というようないわばユートピア的な存在だと思う。

 

一方でマーニーの主人公アンナは学校では疎外感を感じているし、自分のことは嫌いだし、お祭りには行きたがらない。歪みと言うか、こじらせというか、そういうものを持った人間なのだ。家庭も様々問題を抱えているようなシーンもある。

 

この世には、目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、わたしは外側の人間。

 

映画は、予告でも流れるこの台詞から始まる。僕は映画や小説に対して「共感した」という感想、読み方をあまりしないのだが、この時点ではやくも共感を覚えてしまった。

 

まあ、最後にはいつものジブリキャラよろしく元気でさわやかな少女になってしまうのであるが。

 

次に、話の展開であるが、これは二つの意味がある。

ひとつは、このような話を考えることができる人への嫉妬である。『霧のむこうのふしぎな町』よろしく、何か不思議な体験をする系の話を考えることが出来ることになんだか嫉妬してしまった。こういう作品は誰も傷つかないし、読後感のフワフワした感じが好きだ。ちなみに『霧のむこうのふしぎな町』は「千と千尋の神隠し」に影響を与えた作品でもある。まあ、これは原作が別であるのでこの映画に感じるのも変な話なのだけど。

 

霧のむこうのふしぎな町 (新装版) (講談社青い鳥文庫)

霧のむこうのふしぎな町 (新装版) (講談社青い鳥文庫)

 

 

そしてもうひとつは、話の作り込みに関するものである。

 

あらすじの前半としては、

疎外感を感じており家庭でもうまくいっていないようなアンナが喘息の療養のために、親戚の家にしばらく行くこととなる。そして、そこには長年誰も住んでいない屋敷があった、というものである。そこを舞台に物語は展開する。

 

アンナには、そこに住む少女が時々見えるのである。彼女の名はマーニーであり、二人はときどき遊ぶようになる。

 

このマーニーは、アンナに対して「私たちのことは秘密よ、永久に」という約束をする。

 

そして一緒に遊ぶうちに、アンナはマーニーに対して友情の範疇を超えるような思いを明らかに抱いているように見える。

 

そして、その後、屋敷に人が来ることとなり、実は改修工事が進んでいることもわかる。そこに住むこととなる女の子さやかとアンナは友人になるのであるが、さやかはその屋敷で「マーニーの日記」なるものを見つけた。

 

その日記には、アンナと一緒に遊んだものと同じものが書かれていたのである。

 

おそらくこれは、かつてそこの住人だったマーニーの、屋敷への愛着がアンナにマーニーを見せていたのだろう。その屋敷が改修工事でなくなってしまうからこそマーニーはアンナの前に現れた。そして、その屋敷を忘れさせない=残すために、マーニーはアンナに対して「他の人には言わないで」という約束=誓約をしている。これはアンナにとってマーニーを特別なものとすることで、アンナの中に永久に屋敷を残そうとしているのだろう。そして、屋敷に残ったきわめてパーソナルなもの=日記を言わば媒介にしてマーニーが現出していたために、二人は日記と同じことしかできなかったのである。

 

この時点で、日記に書かれているすべてのイベントは消化されていて、その後数ページは破られていた。

 

その後、アンナはまたマーニーに出会う。アンナはマーニーと一緒にサイロへ行くのであるが、そこでマーニーは幼なじみの男の子の名前を連呼し、どこかへ行ってしまう。

 

その後アンナはマーニーのところへ行き、予告でもある「許してと言って」「もちろんよ」というくだりがある。これが二人の会う最後のシーンであり、アンナはマーニーを一生忘れない、と言う。(ごめんなさい、うろ覚えになっていますが確か言っていたと思います)

 

その後アンナは病気になるのだが、そこにお見舞いにきたさやかにマーニーの日記の破られた部分を見せてもらう。そこには、幼なじみの男の子のことばかりが書かれていた。そして、サイロについて書かれた日記が最後だった。ここでも、マーニーが日記から外れた行動を出来ないことが示されていた。

(しかし、二人の会う最後のシーンはそこから外れているのでもう一度見て考えたい)

 

そして、その後屋敷の絵をいつもかいているおばあさんにマーニーの話を聞く。そこでは、マーニーがアンナの祖母であること、アンナは小さい頃祖母であるマーニーと過ごしたことがあることが明らかになる。マーニーも生前はあまり愛情に恵まれた生活を送っておらず、強い愛を持って孫アンナを育てる決意をしていたが逝ってしまったのであった。

 

これが最後に明かされる意味は大きい。マーニーは、単なる屋敷への情念からアンナの前に現れたのではなかった。それだけでなく、他の誰にでもないアンナへの強い思いがマーニーの現出を生んだのである。つまり、マーニーを見ることは、マーニーと出会うことはアンナにしかできないことであったのだ。

 

この映画からは人の土地に対する強い思い、人に対する強い思いを強く感じた。もう一度見に行こう。

 

 

あとがき

マーニーの出てくる幻想シーン?と現実シーンが非常にシームレスだったこともありあまりうまく文章化できなかった。ああ、文章を書くのは難しい。

 

またジブリでよく見る、何かした後に一瞬間ができて二人で笑い合うシーンは健在だった。

 

また、マーニーに限ってないので触れなかったがビジュアルの美しさはやはりすさまじかった。スタジオジブリはすごい。キャラクターの動作も、適度にデフォルメ?をしながらも過不足無くリアルさをもって見せることができているように思う。