日々の泡?

日常は虚しさで覆われているんだという気持ちになっています。

心の底から満たされていると言える日はこれからどれほど来るのでしょうか。これまでどれくらいあったかもわかりませんが、とにかく虚しい気持ちでいっぱいです。

ただ、この虚しさにも慣れなければいけないのかもしれません(年相応に?でしょうか、年齢に関係あるかもよくわかりませんが)。

都市という虚構の真ん中にある程度近いようなところに住んでいるため、それなりに変化があり、環境の刺激があるような場所のはずで、それは日本に住んでいる人の中で最も虚しさを感じることのない生活をしていることを意味しているのかもしれません。もしくは虚構であるがゆえにその逆なのかもしれません。時は戻せないので正当な判断はできませんが、都心に住んでいても田舎に住んでいても同じ思いを抱き続けていたのかもしれません。

ただ、ずうっと田舎に住み、都心に行きさえすればという幻想の中で迷うような人生にはなることがもはやないであろうことはある程度幸運なのかもしれないとは思います。

実家から出たころはそれ自体の喜びに、生活を我が手にした喜びに、人生をついに手に入れ始めたのではないかという気持ちになったものですが、最近は慣れてしまったのかそのような気持ちになかなかなれません。

ただ労働に消耗する日々、そして休日は家事に消耗する日々のような気がしてきてしまいました。家事は今でもかなり好きな部類ですが、前のような生活を手にしている喜びが以前よりないのは確かです。ある程度擦り切れてきてしまったのでしょうか、単に慣れの問題でしょうか。それとも単純に体力の問題でしょうか。

とにかく「いま、ここ」に潜ることがだんだん難しくなってきているように感じています。すべては歳をとっても自意識からうまく逃れられていないだけの話かもしれませんが。