誕生日という日が特別である理由

誕生日は特別だ、と思う。正確に言うならば、誕生日を祝ってくれる人がいるということは特別だ、と思う。

 

なぜかというと、誕生日を誰かに祝ってもらえるというのは、その祝ってくれる人から自分の存在そのもの、自分が存在していることそのものをありのまま肯定されることだからだ。

 

私たちは存在そのものを肯定されることがほとんどない。基本的には自分が他人にもたらしたものによって評価されるのだ。人が社会の中で生きるにはコストがかかるので、それ以上のリターンを他人にもたらさない限り、肯定的に思われることはまずないといっていいだろう。例えば、生まれた家でご飯をたべてゴロゴロしているだけだと、ほぼ間違いなく生みの親から「穀潰し」と罵倒される。その親の都合で生まれてきたのにもかかわらず、だ。血も繋がっていない赤の他人ならなおさらである。

 

そしてこの「親の都合」が重要なところだ。つまり、私たちは生まれたいと思って生まれてきたわけではない。気づいたら自分の意志など関係なく生まれてきていたのだ。この被投性がある限り、私たちは自分で自分の「存在」を無条件で肯定することは難しい。

 

誕生日とは誕生したことを祝う/祝われる日である。つまり、誕生日を祝うというのは、その存在を無条件で肯定するという行為なのだと思う。そして、他ならない自分の誕生日の対象は自分以外にはいない。これは他の多くの記念日、例えば結婚記念日などとは一線を画す性質だと思う。

 

誕生日を祝ってもらえるということは、他ならない自分の存在そのものを、自分の存在それだけを無条件で肯定してもらえることである。だから誕生日は特別なのだ。